中田カウス・ボタンとは? 伝説の漫才コンビの軌跡と現在、そして未来への展望とは?中田カウス・ボタン、解散と襲撃事件の真相
1967年結成、型破りな漫才で人気を博した中田カウス・ボタン。奇抜なスタイルからしゃべくり漫才へ転身し、上方漫才界を牽引。上方漫才協会会長として後進を育成する傍ら、襲撃事件や相方の病気休養など、波乱万丈な人生を送る。霜降り明星・粗品との師弟関係も話題。漫才への情熱は衰えず、コロナ禍でも劇場の意義を訴え続ける。ベテラン芸人のリアルな姿を描く、熱いドキュメント。
💡 1967年結成の漫才コンビ、中田カウス・ボタンの漫才師としての軌跡と、若手への影響。
💡 2023年のコンビ事実上解散に至るまでの背景と、その後のカウスの活動。
💡 中田カウスを襲った事件の真相と、その事件が与えた影響について掘り下げます。
それでは、中田カウス・ボタンの輝かしい功績と、現在までの道のりを振り返るところから始めましょう。
伝説の漫才コンビ、中田カウス・ボタンの軌跡
中田カウス・ボタンはどんな漫才コンビ?
奇抜なスタイルで人気
上方漫才協会10周年を記念して行われたイベントの様子や、カウス会長をはじめとする芸人たちの思いに迫ります。
公開日:2025/04/22

✅ 2024年4月20日に開催された「上方漫才協会 十周年記念 特別興行」は、上方漫才協会の発足10周年を記念して行われた4会場ツアーの初日公演であり、会長の中田カウスをはじめ、多くの若手漫才師が出演し、盛況のうちに終了しました。
✅ 公演後に行われた囲み取材会では、カウス会長をはじめ、出演者たちが公演の感想や上方漫才協会への思いを語りました。カウス会長は協会の10年間を振り返り、若手漫才師たちの成長に喜びを表明しました。
✅ また、取材会では、上方漫才協会の賞が若手芸人にとってどのような位置づけなのか、今後の協会の方向性などが話題となり、参加者たちはそれぞれ自身の考えを語りました。
さらに読む ⇒ワラックパークワラパー芸人が集まるメディア出典/画像元: https://wluck-park.com/live-report/28607/カウス会長の若手への眼差し、そして今後の漫才界への期待が伝わってきますね。
中田カウス・ボタンは1967年に結成された漫才コンビです。
カウスはボケ担当で愛媛県出身、ボタンはツッコミ担当で香川県出身です。
当初は遊園地やストリップ劇場などで漫才を披露し、奇抜なスタイルと若者層をターゲットにしたネタ作りで人気を博しました。
その後は本格的なしゃべくり漫才へと転身し、1971年には上方漫才大賞新人賞、1972年にはNHK上方漫才コンテスト最優秀話術賞を受賞するなど活躍しました。
2014年にはコンビ揃って上方漫才協会の会長(カウス)・副会長(ボタン)に就任し、若手漫才師の指導役を担いました。
すごい! カウス師匠とボタン師匠って、そんなに昔からすごい方たちだったんですね!
解散の影、そして希望の光
ボタンは現在どうしている?
病気と闘っています
コンビ解散に至るまでの経緯と、ボタンさんの体調、そして今後の活動について触れていきます。

✅ 中田カウス・ボタンのマネジメント契約が吉本興業との間で終了しました。
✅ これはボタンの体調不良による休養を受け、ボタン自身の意向を尊重した結果です。
✅ ボタンは今後芸能界を引退するとみられ、事実上のコンビ解散となります。
さらに読む ⇒デイリースポーツ出典/画像元: https://www.daily.co.jp/gossip/2023/02/20/0016068403.shtml相方の体調不良による解散は、非常に残念ですが、ボタンさんの今後のご活躍を願っています。
2019年3月、ボタンが体調不良により休養を発表し、2023年2月には吉本興業との契約を終了、事実上の解散となりました。
ボタンは2019年に入院した際に肺がんと診断され、余命1週間と宣告されました。
しかし、現在は病気の進行が止まっており、体調の良い時には以前と変わらず元気な姿を見せています。
一方、カウスはその後も『中田カウス漫才のDENDO』のホストとしてなんばグランド花月に定期的に出演しています。
ボタンさん、引退されるんですね…。寂しいけど、ゆっくり休んでほしいです。
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中田カウス襲撃事件から粗品との師弟関係までを紐解く。ベテラン芸人の視点から、コロナ禍における劇場の意義と、芸人のプロ意識を語る。